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米津玄師 インタビュー 林先生と探る!音楽と人生の深い結びつき

Table of Contents

米津玄師×林修:日曜の初耳学・インタビュアー林修

米津玄師・バラエティメディア初登場が話題に。音楽と人生哲学に関心を持つ多くの人々にとって「日曜の初耳学・インタビュアー林修」の内容は非常に興味深いものに。米津玄師のインタビューを通じて明らかにされた彼の創作の裏側や日常生活、さらに宮崎駿監督とのエピソードまで、多岐にわたる話題を掘り下げ。特に「Lemon」誕生秘話や、日本文学との深い結びつきが彼の音楽にどのように影響を与えているのか、そして林先生との対話で明らかになった新たな視点に注目。

  • 米津玄師の日常生活が意外と普通であること
  • 彼が創作活動をする上での生活習慣やリズム
  • 米津玄師の幼少期が内向的で孤独なものであったこと
  • 音楽との出会いが彼にとって救いとなった背景

米津玄師の素顔:意外な日常生活とは?

米津玄師の日常生活は、多くのファンが想像するものとは異なる意外な一面を持っています。

まず、彼の食生活は意外にも庶民的です。好きな食べ物は中華、カレー(特にCoCo壱番屋)、寿司といった一般的な料理です。また、食事の際はUberEatsを頻繁に利用しているそうです。

飲酒習慣についても興味深い点があります。米津さんはハイボールを好み、長時間のだらだら飲みを楽しむそうです。音楽仲間と朝方まで飲むこともあるようです。

睡眠に関しては、意外にも長時間睡眠派です。10時間以上の睡眠を必要とし、これが彼の創作活動を支える重要な要素となっています。

一方で、米津さんは家で過ごすことを好む内向的な一面も持っています。曲作りに没頭する際は、窓を閉め切り、カーテンを締め切った状態で集中するそうです。

このように、米津玄師の日常生活は、天才的なアーティストのイメージとは異なる、意外にも普通の一面を持っています。しかし、この日常こそが彼の独特な創作活動を支える基盤となっているのです。

幼少期の葛藤:音楽との出会いはどのようなものだったか?

米津玄師の幼少期は、多くの人が想像するような輝かしいものではありませんでした。むしろ、内向的で周囲となじめない日々を過ごしていたようです。

彼は自身を「すごい引っ込み思案な子供」だったと振り返っています。家にこもりがちで、人とあまり話さない性格だったそうです。特に、周囲の人々が何を言っているのかよく理解できず、どう返答すればいいのかわからないという経験をしていました。

このような生きづらさを感じていた米津少年にとって、音楽との出会いは救いとなりました。彼は自分の内面を表現する手段として、絵を描くことや音楽を聴くことに没頭していったのです。

特に中学生の頃から本格的に音楽に興味を持ち始めました。スピッツやBUMP OF CHICKENなどの日本のロックバンドに憧れ、友人とバンドを組むようになりました。

しかし、バンド活動を通じて新たな葛藤も生まれました。人と一緒に何かを作り上げることの難しさを痛感し、自分には向いていないのではないかと悩むようになったのです。

このように、米津玄師の音楽との出会いは、自己表現の手段を見つけた喜びと、人間関係の難しさを実感する葛藤が入り混じったものでした。この経験が後の彼の音楽性や創作スタイルに大きな影響を与えることになります。

ボカロ時代からの変遷:表舞台に立つ決意の裏側とは?

米津玄師のボーカロイド(通称:ボカロ)時代から表舞台に立つまでの変遷には、彼の内面的な成長と葛藤が深く関わっています。

ボカロ時代、米津さんは「ハチ」という名義で活動していました。この時期、彼は自分の顔も声も本名も出さず、裏方として音楽を作り続けていました。ニコニコ動画を中心に活動し、次々とミリオン再生を記録するなど、ボカロ界のトップクリエイターとして認められるようになりました。

米津さんにとって、ボカロの世界は「半分故郷みたいなもの」だったそうです。人間関係に悩んでいた彼にとって、一人で音楽制作ができるボカロの世界は居心地の良い場所だったのです。

しかし、2012年を境に、米津さんは本名での活動を開始し、表舞台に立つことを決意します。この決断の裏には、彼の中にあった葛藤がありました。

実は、米津さんは元々「自分で顔を出して、自分の名前で歌う人間」に憧れていたのです。ボカロ活動を通じて音楽制作の喜びを知った一方で、自分の声で歌いたいという思いが徐々に強くなっていきました。

さらに、ボカロの世界だけにとどまることへの違和感も感じ始めていました。「この故郷(ボカロ)の中だけでずっと生きていくのも、あまり心地いいことじゃない」と感じるようになったのです。

このように、米津玄師の表舞台への進出は、自己表現への憧れと、新たな挑戦への欲求が重なった結果でした。彼の決断は、自身の音楽性をさらに広げ、より多くの人々に届けたいという強い思いから生まれたのです。

「Lemon」誕生秘話:祖父との思い出がもたらした影響は?

米津玄師の代表曲「Lemon」は、彼の個人的な経験と深く結びついています。この曲の制作過程で、米津の母方の祖父が亡くなるという出来事がありました。これは単なる偶然ではなく、曲の主題である「死」と密接に関連していたのです。

米津は子供の頃、内向的な性格で人とあまり話さないタイプでした。しかし、祖父の家には特別な思い出があったようです。徳島県の山の斜面にへばりつくような村にあった祖父の家は、米津にとって印象的な光景の宝庫でした。朝もやに包まれた山々や、高低差のある地形など、これらの記憶は現在でも米津の創作に大きな影響を与えています。

「Lemon」の歌詞には、このような個人的な経験が普遍的な感情へと昇華されています。特に「今でもあなたはわたしの光」というフレーズが3回繰り返される構造は、亡き人への強い思いを表現しています。米津自身は、この曲を「わがままな曲」と表現しています。「忘れてください」と言いながらも「忘れられない」という矛盾した感情を歌っているからです。

しかし、このような矛盾こそが「Lemon」の魅力となっています。米津は、音楽には割り切れないものや自己中心的な思いも美しく響かせる力があると考えています。そして、このような複雑な感情を表現できることに感謝の念を抱いているのです。

「Lemon」は、2018年の紅白歌合戦で米津のテレビ初歌唱曲となりました。この出演は、亡き祖父への感謝の気持ちが込められた「親孝行」のような意味合いもあったそうです。

このように、「Lemon」は単なるヒット曲ではありません。米津玄師の個人的な経験と、普遍的な人間の感情が見事に融合した作品なのです。そして、この曲を通じて、多くの人々が自分自身の経験や感情を重ね合わせることができるのかもしれません。

文学との深い結びつき:創作にどう活かされているのか?

米津玄師の音楽には、日本文学との強い結びつきが見られます。彼の創作活動には、宮沢賢治、石川啄木、種田山頭火などの文豪たちの影響が色濃く反映されています。

例えば、宮沢賢治の『春と修羅』は、米津が10代後半の頃から愛読していた作品です。神経質だった時期に、この詩集をお守りのように鞄に忍ばせていたほど、彼にとって重要な存在でした。

また、石川啄木の影響も見逃せません。米津の楽曲「毎日」には、啄木の有名な歌「働けど働けど、猶我が暮らし楽にならざり、ぢっと手を見る」からの引用が見られます。米津は、制作が切羽詰まっている時にこの言葉を思い出し、自分の状況と重ね合わせて歌詞に取り入れたそうです。

さらに、種田山頭火の俳句も米津の創作に活かされています。朝ドラ「虎に翼」の主題歌「さよーならまたいつか」では、山頭火の「しぐるるや しぐるる山へ 歩み入る」という句を「しぐるるや しぐるる町へ 歩み入る」と巧みにアレンジしています。

この手法について、林修は「双交通」という言葉を用いて評価しています。これは、過去の作品を現代に引用し、新たな意味を持たせる手法を指します。米津自身は「本歌取り」という意識があったと語っています。

米津の創作プロセスでは、文学作品からインスピレーションを得ることが多いようです。例えば、最新アルバム「ロストコーナー」のタイトルは、カズオ・イシグロの小説『わたしを離さないで』から着想を得ています。

このように、米津玄師の音楽は単なるポップミュージックではありません。日本文学の豊かな表現や深い思想を現代的な形で再解釈し、新たな芸術作品として昇華させているのです。彼の楽曲が多くの人々の心に響く理由の一つは、この文学との深い結びつきにあるのかもしれません。

米津玄師インタビュー:林修が迫る音楽と人生哲学

  • 米津玄師がボーカロイド時代から本名での活動に転向した理由
  • 「Lemon」の制作に祖父の死が大きく影響したこと
  • 宮崎駿監督や朝ドラの主題歌制作でのエピソード
  • 米津玄師が日本語表現にこだわりながらも海外進出を考えていること

「パプリカ」に込めた思い:子供たちへのメッセージとは?

「パプリカ」は、米津玄師が子供たちへの応援歌として制作した楽曲です。しかし、この曲の制作過程では、米津は深い葛藤を抱えていました。

まず、米津は「頑張れ」という言葉を安易に使うことを避けたいと考えました。なぜなら、子供たちに単純に「頑張れ」と言うのは、ある意味で無責任だと感じたからです。

そこで、米津は宮崎駿監督の姿勢から inspiration を得ました。宮崎監督は常々、「子供たちがこの世を生きていて価値があると思えるような映画を作りたい」と語っています。この考え方に共感した米津は、子供たちを尊重し、彼らの目線に立った曲作りを心がけました。

米津は自身の子供時代を振り返り、山や川で遊んだ記憶、花火をした思い出など、日常の中にある小さな喜びが、実は人生に大きな影響を与えていることに気づきました。そして、必ずしも大きな夢を叶えることだけが人生の目的ではなく、その過程で感じる喜びや成長こそが重要だと考えるようになりました。

このような思いを込めて、「パプリカ」は作られました。この曲は、子供たちに「今」を大切に生きることの素晴らしさを伝え、日々の小さな発見や喜びを通じて、自分らしく成長していってほしいというメッセージが込められています。

結果として、「パプリカ」は単なる応援歌を超えて、子供たちの心に寄り添い、彼らの感性を育む楽曲となりました。米津の深い洞察と繊細な感性が、この曲の普遍的な魅力を生み出したのです。

宮崎駿監督との奇跡の出会い:「地球儀」制作の舞台裏

米津玄師にとって、宮崎駿監督からの楽曲制作オファーは、まさに人生最大の出来事でした。この奇跡的な出会いは、「パプリカ」という楽曲がきっかけとなっています。

実は、宮崎監督は普段テレビをあまり見ない人物として知られていますが、「パプリカ」だけは口ずさむほど気に入っていたそうです。そこで、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが「パプリカを歌っている人に主題歌を頼むのはどうか」と提案し、宮崎監督もこれに同意したのです。

このオファーを受けた米津は、大きなプレッシャーを感じました。彼は自身の心境を「死刑台に上るような気持ち」と表現しています。なぜなら、宮崎監督は米津が子供の頃から憧れ続けてきた存在だったからです。

制作過程では、宮崎監督から5冊もの絵コンテを渡されました。米津はこれを「ジャンプ2冊分」のボリュームだったと回想しています。そして、「これをもとに自由に感じたように作ってください」と言われ、米津は大きな責任を感じながらも、創作に没頭しました。

完成した楽曲「地球儀」を宮崎監督に聴いてもらう瞬間、米津は極度の緊張状態でした。しかし、宮崎監督の反応は意外にもあっけないものでした。「いいですね」という一言二言で、すぐに採用が決まったのです。

この経験を通じて、米津は自身の音楽性をさらに深化させることができました。宮崎監督との協働は、米津の創作活動に新たな次元をもたらし、彼のアーティストとしての成長に大きく寄与したと言えるでしょう。

「さよーならまたいつか」:朝ドラ主題歌への挑戦とは?

米津玄師が朝ドラ「虎に翼」の主題歌「さよーならまたいつか」を制作するにあたり、彼は独自の挑戦に直面しました。

まず、米津は朝ドラという番組形式にあまり馴染みがなかったため、「朝ドラの音楽とはどういうものか」という基本的な疑問から始めました。一般的に朝ドラの主題歌には爽やかさが求められますが、米津はそれだけでは不十分だと感じました。

「虎に翼」は、日本初の女性裁判官をモデルにした物語で、フェミニズムの要素が強く含まれています。米津は男性アーティストとして、この主題に対してどのように向き合うべきか深く考えました。彼は「女性の地位向上を邪魔したくない」という思いを強く持ち、慎重に制作に臨みました。

そして、米津は種田山頭火の俳句「しぐるるや しぐるる山へ 歩み入る」を引用し、アレンジを加えました。「山」を「町」に変えることで、都会の中での孤独感を表現しました。これは、主人公の孤独な戦いを象徴する巧みな手法でした。

林修はこの手法を「双交通」と評価しています。これは、過去の作品を現代に引用し、新たな意味を持たせる技法を指します。米津自身は「本歌取り」という意識があったと述べていますが、この手法により、古典的な美しさと現代的な解釈が見事に融合しました。

結果として、「さよーならまたいつか」は単なる朝ドラの主題歌を超えて、深い文学性と現代的なメッセージを併せ持つ楽曲となりました。米津の繊細な感性と文学への造詣の深さが、この曲の独特な魅力を生み出したと言えるでしょう。

映画音楽への挑戦:「ラストマイル」制作で直面した課題は?

米津玄師さんの映画音楽への挑戦は、予想以上に困難を伴うものでした。特に「ラストマイル」の主題歌制作では、興味深い出来事がありました。

まず注目すべきは、最初に作った曲がボツになったという事実です。米津さんは「この曲も二曲目なんですよね。一曲目はボツになって」と率直に語っています。これは、彼のような実力者でさえ、一発で合格点を取れるわけではないことを示しています。

さらに、米津さんは前作との関連性を持たせようとしたものの、それが適切ではないと判断しました。「前2作と絡めてみたいなことをやってたんですけど、でもなんかそれもちょこざいだなって感じがした」と振り返っています。この経験から、各作品の独自性を尊重することの重要性を学んだようです。

また、映画音楽制作の難しさについて、米津さんは「毎回毎回新しい物語なんで、その都度新しい気持ち新たにって感じ」だと述べています。これは、映画の世界観に合わせて音楽を創作する難しさを示唆しています。

しかし、これらの課題を乗り越えて完成した「がらくた」は、主演の満島ひかりさんから高い評価を得ました。満島さんは「自分の中で孤独で痛みを持っている部分にカッてくるようなところがあった」と感想を述べ、音楽が映画に新たな深みを加えたことを評価しています。

このように、映画音楽への挑戦は米津さんにとって新たな成長の機会となりました。試行錯誤を重ねながらも、最終的には作品の本質を捉えた楽曲を生み出すことに成功したのです。

世界進出への葛藤:日本語表現との折り合いをどうつけるか?

米津玄師さんの世界進出に対する姿勢は、慎重かつ誠実なものです。彼は国際的な成功を望みつつも、日本語表現への深い愛着を持ち続けています。

米津さんは「聞いてくれる人が増えればそれは絶対嬉しいし、それが国の外であればそれも嬉しい」と述べ、世界的な認知度向上への期待を示しています。しかし同時に、「無理をしてまでっていう感じでもない」とも語り、安易な海外進出には慎重な姿勢を見せています。

特に注目すべきは、日本語への強い愛着です。米津さんは「やっぱり、自分は自分でやれることがあるなと思いますし、まあなんだかんだで日本語が好きだし、日本語の表現っていうのは馴染み深いものでもある」と語っています。これは、彼の創作の根幹に日本語表現があることを示しています。

さらに、米津さんは日本語の独特な表現力にも言及しています。「しぐるるや」という言葉を例に挙げ、その音の美しさや意味の深さが外国の方にどう伝わるかという課題を提示しています。

一方で、米津さんは完全に国内市場に閉じこもる意図もないようです。「閉じこもろうとも思わない」と述べ、国際的な展開の可能性も排除していません。

今後の展望として、米津さんは「好きで読んだ小説の文体とか、いかに変換できるのかとか、そういうのはこれからどんどん見つめていこうかな」と語っています。これは、日本語の魅力を失わずに、国際的にも通用する表現方法を模索する姿勢を示しています。

このように、米津さんの世界進出への葛藤は、日本語表現への愛着と国際的な成功への期待のバランスを取ろうとする努力の表れといえるでしょう。

米津玄師が語る音楽と人生:未来への展望をどう描くか?

米津玄師さんの音楽と人生に対する姿勢は、深い洞察と独特の世界観に満ちています。彼の未来への展望は、これまでの経験と哲学に基づいた独自のものです。

まず、米津さんは人生をファンタジーや茶番として捉える視点を持っています。満島ひかりさんとの対話で明らかになったように、「どこかこの世界はおとぎ話だったり、ファンタジーで茶番なところもあるから、どうドライブするか」という考え方が彼の創作の根底にあります。

この世界観は、米津さんの音楽制作にも大きな影響を与えています。彼は「割り切れないものを抱えて人と接したりすると、どこかで何か齟齬が起きたりとか、社会的な営みだと許されない部分とかがあったりしますけど、少なくとも音楽とかそういう分野においては、それを肯定してくれる」と語っています。つまり、音楽を通じて人間の複雑な感情や矛盾を表現することを重視しているのです。

また、米津さんは常に新しいことに挑戦する姿勢を持っています。例えば、30歳を過ぎてからボイストレーニングを始めたことからも、彼の学びへの意欲が伺えます。「今一度そこに向き合ってみたいという気持ちが湧いてきた」と語る米津さんの姿勢は、アーティストとしての成長への強い意志を示しています。

さらに、米津さんは日本語の表現力を大切にしながらも、国際的な展開も視野に入れています。「好きで読んだ小説の文体とか、いかに変換できるのかとか、そういうのはこれからどんどん見つめていこうかな」という言葉からは、日本語の魅力を失わずに世界に通用する表現を模索する姿勢が見て取れます。

林修さんは米津さんの今後について、「おそらく我々はまだ米津玄師の一部しか知らないんじゃないかな」と評しています。これは、米津さんの創作の可能性がまだまだ広がっていることを示唆しています。

このように、米津玄師さんの未来への展望は、独自の世界観と表現力を軸に、常に新しい挑戦を続けながら、より多くの人々の心に響く音楽を創造していくことにあるようです。彼の音楽と人生哲学は、これからも多くの人々に影響を与え続けることでしょう。

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米津玄師 インタビュー 林先生と探る!音楽と人生の深い結びつき まとめ

  • 米津玄師の日常生活は庶民的で意外な一面がある
  • 彼の創作活動は長時間睡眠によって支えられている
  • 幼少期は内向的で、音楽との出会いが救いとなった
  • ボカロ時代から本名での活動に移行した背景に葛藤があった
  • 「Lemon」は祖父の死が制作に影響を与えた
  • 米津玄師の音楽は日本文学との深い結びつきがある
  • 宮崎駿監督との出会いで「地球儀」を制作した
  • 「パプリカ」には子供たちへの深いメッセージが込められている
  • 朝ドラ「虎に翼」の主題歌制作で文学的手法を用いた
  • 映画音楽制作では多くの試行錯誤があった
  • 世界進出への葛藤と日本語表現へのこだわりがある
  • 米津玄師は人生と音楽に対する独自の哲学を持っている
  • 林修は米津玄師の未開拓の可能性を指摘している

米津玄師、林修、インタビュー、Lemon 誕生秘話、創作活動、宮崎駿、ボーカロイド時代、日本文学、朝ドラ主題歌、音楽と人生哲学

インタビュアー林修 米津玄師 インタビュー

米津玄師 林修インタビュー前半戦 2024/8/25

ナレーター:
今夜のインタビュアー林修は…テレビ界に大事件です。名だたるアーティストたちも絶賛する日本最高峰のアーティストが、トーク番組に初出演します。そのカリスマアーティスト、米津玄師

林修:
ようこそ、よろしくお願いします。

米津:
よろしくお願いします。

林修:
なんで、なんで本当に、テレビで話していらっしゃるところ、あまり見たことがないので、本当に今回はありがとうございます。

米津:
ありがとうございます。

林修:
僕の率直な印象を申し上げると、音楽も素晴らしいし、あと絵も本当に素晴らしくて、空間を視覚と聴覚で両方支配できるすごい人だっていう率直な印象です。

米津:
恐縮です。本当に好きなことだけやってきたらこうなってしまったという感じで、だから、わりかしそれ以外のところは何もできない人間として生きてきてしまったなって、負い目の方がすごく大きいかもしれないですね。

ナレーター:
日本の音楽界を牽引するトップアーティスト、米津玄師。ドラマ『アンナチュラル』の主題歌『Lemon』が大ヒットし、ミュージックビデオはYouTubeでの再生数が八億七千万回を超え、日本人アーティストの史上最高記録を打ち立てました。そして、日曜劇場『ノーサイドゲーム』の主題歌『馬と鹿』もオリコンダウンロード数第一位を獲得し、他のアーティストに提供した楽曲も次々大ヒット。米津玄師が作詞作曲した楽曲は誰もが知っているものばかり。しかし、テレビ番組にほとんど出ないこともあり、そのプライベートは謎に包まれています。

林修:
本当に印象がミステリアスで、どういう交友関係があるのかも全く浮かんでこないんですけれども、この芸能界の中での交流というのはあるんですか?

米津:
結構お酒飲むのが好きなんで、やっぱり夜中とかフラッとバーとか、友達たちが集まってる場所とかに行ったりしますね。キングヌーのダイキとかサトルとかとは、最近どうしてるみたいな感じで会ったりしますけど。

林修:
おしゃれなバーに行かれてるんでしょう。普通に居酒屋とかも行かれるんですか?

米津:
いや、だいたい飯食う時はUberEatsなんですけど、中華とカレーと寿司がすごい好きで、その三つをローテーションしながら生活してますね。

林修:
カレーは欧風系ですか、エスニック系ですか?

米津:
あー、でも普通のカレーですね。ココイチとか。

林修:
あぁ、そっち系ですか? 意外ですね…。

米津:
世界で一番うまいかなと。

林修:
これ、ちょっと世の中に革命が起きます、今の一言で。いや、すごい大変なことに…。

米津:
いや、めちゃくちゃ美味しくないですか? ココイチ。

林修:
ちなみにトッピングはどういう系統ですか?

米津:
ソーセージとかですね。基本的に子供舌なんですよ。

林修:
でもカレーにソーセージのトッピングは確かに隠れで一位かもしれないですね。

米津:
ソーセージとかハンバーグとか寿司とか、分かりやすい食べ物が一番好きなんですね。

林修:
米津さんも交流のあるキングヌーの常田さんが、曲作りに入ると何ヶ月も部屋に引っこもって出てこなくなるとおっしゃってたんですけれども、米津さんはいかがなんですか?

米津:
わりかし自分も似たタイプかもしれないですね。ずっと家で窓を閉め切って、カーテンも締め切って、不健康な極みみたいな感じで過ごしています。

林修:
外には出ない?

米津:
出ないですね。で、UberEats で…

林修:
ココイチですか。

ナレーター:
米津玄師がさらに意外な一面を見せているのが、現在放送中の朝の連続テレビ小説『虎に翼』の主題歌『さよーなら、またいつか』。実はそのミュージックビデオの中で、まさかの三つ編み姿を披露しています。

米津:
三つ編みはずっとやってみたかったことでは…ある

林修:
そうなんですか?

米津:
そうですね。今回ミュージックビデオを撮ろうとなった時に、どういう形で出るか考えたとき、ずっとやってみたかった三つ編みが合うんじゃないかと思って

林修:
でも、思い通りではなかったと。

林修:
オレンジの上下のスーツに三つ編みで出るというのは、自分で決めたことなんですか?

米津:
はい、自分で決めたことなんですが、自分でもどうなるのかあまり想像がついてなくて。スーツも作ってもらって、三つ編みも合わせて着てみた時に、こんな感じになるんだと。見てくれた人も驚いてくれたと思うんですが、何をかって自分が一番驚きました。

ガヤ:
ケンティは米津さんと交流はないんですか?
そう、米津さんが言ってたバーに行ったことがあるぐらいですかね。
それって交流って言えないですよね(笑)。

ナレーター:
今夜は、米津玄師がテレビで初めて語り尽くしますスペシャル。憧れの宮崎駿監督からオファーを受けた曲地球儀その驚きの制作秘話を告白します。

米津:
いや、もう本当に人生最大の出来事でしたね。死刑台に上るみたいな気持ちだったんで、こっちに聞かされた時は。

ナレーター:
そして、自身の過去まで語る。うちにこもって、あんまり人とも喋らない。周りの人間が何を言ってるのかあまりよくわからないという、生きづらさを抱えていた幼少期の葛藤まで、米津玄師が米津玄師の人生を語った60分。

ガヤ:
すっごい気になるよね気になるよね!

ナレーター:
まずは『Lemon』や『パプリカ』など、大ヒット曲の誕生秘話に林修が迫る。

林修:
このコーナーでは、花人の赤井勝さんにお願いして、このお花のデザインをしていただいているんですけれども、今回は世界中から百種類以上の緑を集めて作られたんだそうです。緑は、地球から栄養分と二酸化炭素を吸収して酸素を保湿し循環させるもの。そのイメージが、米津さんのいろいろなものを吸収して音楽として人々を楽しませる循環に重なるので、こういうデザインを選ばれたというふうに先生はおっしゃっていました。

米津:
いや、すごいかっこいいですね。ありがとうございます。

ナレーター:
米津玄師の名を一躍世に知らしめた楽曲が、2018年リリースの『Lemon』。この曲は高校の音楽の教科書にも掲載され、世代を超えて愛される国民的大ヒットソングとなっている。

林修:
すごい大ヒット曲の『Lemon』ですが、学校の教科書にも載ったときの連絡を受けた時はどう思われました?

米津:
いや、なんか光栄な話ですよね。本当にね、すごいなって思いました。あ、これですか、初めて見ましたね。

林修:
今の教科書、こんなにおしゃれなんですね。

米津:
なんか、ね、俺、子供の頃もっとダサかった記憶があるんですけど

林修:
こういうのが載ってたら、僕ももうちょっと音楽が好きになったかもしれないですけど。やっぱり、中二で『魔王』を聞かされて、ちょっと厳しかったですよね。

米津:
聞きましたね、だいぶインパクトありました。

ナレーター:
この『Lemon』が主題歌となったドラマ『アンナチュラル』。法医解剖医たちが不自然な死を解明していくストーリーで、この曲には『死』という大きなテーマが込められている。しかし、その制作過程で米津玄師の身に忘れられない出来事が起きたという。

林修:
やはりこの曲には思い入れがおありなんですよね。

米津:
制作中に自分の母方のおじいちゃんが亡くなっちゃったことがあって。ドラマ自体がわりかしこう、人の死に向き合うっていう、そういうドラマだったんで、そういうドラマの曲を作っている最中に自分の身内にも同じようなことが起きるっていうのは、何らか偶然ではあるんですけど、ちょっとこう、もしかしたら必然なのかなとか、そういうことを思う瞬間もあって。

林修:
おじいさまとの思い出って何かおありですか?

米津:
でも子供の頃、自分は結構内にこもるタイプというか、あんまり人とも喋らないタイプだったので、あんまりおじいちゃんとも特別な会話があったかと言われると、特にはないんですけど、おじいちゃんの家がすごい好きだったんですよね。

林修:
徳島県出身ですか?

米津:
はい、徳島県出身なんですけど、山の斜面にへばりつくような村で、その一番低いところにおじいちゃんの家があって、すごい高低差があるんです。その光景っていうのは今でも思い返すくらい、大きな影響を及ぼしているなと思います。朝起きると、晴れてると山が重なって向こうの方に見えるんですけど、朝もやで何も見えなくなったりとか、印象的な光景がいっぱいある地元でして。

林修:
家に帰る時は、外で遊んでいて最後に駆け上って家に帰るような感じですか?

米津:
そうですね。駆け上った記憶というより、駆け降りた記憶の方が大きいですね。駆け下りて途中で転んだりとか、大変な目にあった記憶が強いです。

ナレーター:
今でも米津玄師の心に残る祖父の存在と、その原風景。亡くなった祖父への想いを歌詞に込めた『Lemon』は、リアリティを帯び、人々の心を打つ楽曲となった。そして2018年、紅白歌合戦でテレビ初歌唱を果たした。

林修:
やっぱりご自身の中でもあの曲がターニングポイントだったなって思われますか?

米津:
明確にそうだと思いますね。やっぱりあれを作る前と後では、全然違う…人生になったなと思います。それこそ『Lemon』とかは、CMで流れたバージョンとドラマ本編で流れたバージョンがちょっと違うというのもあって…。

米津:
本当に締め切りの最後の最後までやりたいんで、そこまでいろいろこねくり回したいって気持ちが全曲に対してあるので。なので、提出して『これがfixの完全音源です』っていう風に提出した後に、ちょっと頼むからもう一回やらせてくれって言ってるんですけど。

林修:
録り直したんですか?

米津:
そうですね。メロディーがちょっと変わってたりとかして。うわぁ、それはすごい迷惑かけたなっていうので反省はしてるんですけど。

林修:
今振り返ってみて、あそこいじりたいなって作品は、じゃあ今でもおありなんですか?

米津:
ほとんど全曲思いますね。

林修:
時には行き詰まる時もありますよね。そんな時はどうされるんですか?

米津:
寝ますね。

林修:
そこはリセットですかね

米津:
昨日までは気づかなかったけど、寝て起きてリセットしたら全然感じ方が違ったりするんで、それも一つ大事だなとは思いますけど。

林修:
もともと長く寝られる方ですか? それともショートスリーパーですか?

米津:
めちゃくちゃ長いですね。十時間は寝ないと気が済まなくて。
そんだけ寝てるからこんなに大きくなったのかな(188cm)。

林修:
寝すぎてちょっと失敗したなって思う事も何かおありなんですか?

米津:
ずっと作ってて一回忘れようと思って寝て、起きたらパソコンが再起動してて、保存するの忘れてて無くなった事はありますね。

林修:
そういう時に『うわっ、これが夢ならばどれほど良かったでしょう』と。

米津:
あぁ…えぇ、ずっと思い続けてますけどね。

ガヤ:
(ここ、良いやりとり。え? こんなにハマった質問、初めてじゃない?)

ナレーター:
次々と大ヒット曲を生み出す米津玄師。その創作の原点には、ある大物監督の存在があった。

米津:
すごい引っ込み思案のある子供でしたね。うちにこもってあんまり人とも喋らない。

林修:
米津さんの曲、ある方の存在に影響を受けているというお話を伺ったんですが、宮崎駿さんは?

米津:
すごく影響を受けましたね。子供の頃からやっぱりジブリ映画は大好きだったんで、勝手に私淑するような気持ちで昔からいてくれたような気がします。

ガヤ:
なるほど、私淑…どういう意味?

林修:
(直接関係が無くとも)個人的にその方を先生だと思っていることを私淑すると言います。

米津:
映画と音楽という意味では全然出口は違いますけど、自分が大人になるにつれて、『この映画を作っている人はどういう人なんだろう』という興味に移っていったりだとか、書籍だとかドキュメンタリー映像とか、そういうので熱意を持って、時にすごく刺激になりながらも一つのものを作ってる。それがすごいかっこよく見えたのは覚えています。そして、その姿に勝手に叱咤激励されるような気持ちで生活していました。

林修:
心の師匠みたいな感じですね。

ナレーター:
そう、例えばこの楽曲『飛燕』は宮崎作品『風の谷のナウシカ』がモチーフになっているんです。
そして、最も大きな影響を受けた楽曲が気になるところ。米津玄師が作詞・作曲・プロデュースを手掛け、子どもたちの応援ソングとして作られた『パプリカ』。特にこの曲には、宮崎さんの作品の影響が出ているといいます。

林修:
本当に良い歌ですね、この『パプリカ』。

米津:
そうですね、あれは応援ソングという形で作ってほしいというオーダーがあったんですけど、子供たちに向けて応援ソングを歌うってどういうことなんだろうっていうのが、あんまりよくわからなくなっちゃって。自分の中であんまり『頑張れ』とか言いたくなかったし、子供に『頑張れ』って言わせたくなかったんです。子どもたちが歌う曲、子どもたちが応援されていると感じるような曲って、一体どういうスタンスでいれば作れるんだろうと考えると、やっぱり宮崎さんの姿が一番最初に浮かんできて。

米津:
彼はもうずっと子どもたちがこの世を生きていて価値があると思えるような映画を作りたいっていう、そういう話を何度も何度も話し続けてきたんで、彼のスタンスだとか、そういうところに見習おうっていう気持ちがまずあって、最終的に子供を舐めないようにしようっていうところが結構大きかったですね。

米津:
じゃあ何を持って応援歌なのかって考えてみたら、自分の子供の頃のこととか思い返すと、さっき話したような自分のおじいちゃんのすごい田舎の山の中の景色とかで、川で遊んだり、花火をしたり、走り回ったりした記憶が、今に大きな影響を及ぼしているんじゃないかと思うんですよね。なので、夢に向かって頑張る、夢を叶えるっていうこと以前に、そこに向かっていく力とか、そこに没頭して楽しんでこの世で生きていくっていう、その状況自体にものすごく意味があるんじゃないかなって感じたので。

米津:
決して一つの目標に向かって邁進していくことを馬鹿にするつもりもないですけど、目的に向かって達成するかどうかって、些細なことなんじゃないかなって思ったりするんですね。

米津:
それで…そうですね、そこに向かっていく過程に、実はものすごく豊かなものがあるんじゃないかなって思ったりするんです。子供たちに『夢叶えろよ』みたいに言うのもすごく無責任だし、残酷な話をすれば、子供の夢なんて大体叶わないじゃないですか。そしたら、じゃあその夢を叶えられなかった人間がみんな不幸になるのかといったら、別にそういうわけでもないし、やっぱり夢とかそういうものを持って、その上で、夢から付随して生まれてくる運動とか感性みたいなもの、実はそっちの方が重要なんじゃないかなって思ったりします。

ナレーター:
かつて自分が野山を駆け回ったように、子どもたちには目の前の今を楽しんでほしい。そして、自分が宮崎作品に心を躍らせたように、ワクワクする気持ちを大きく育ててほしい。『パプリカ』にはそんな想いが込められている。

林修:
その憧れの宮崎駿監督からオファーがあったということですが、どういうオファーがあったんですか?

米津:
まさにその『パプリカ』を宮崎さんが聞いてくれてたらしくて、あんまりテレビとかそういうメディアを見ない人らしいんですけど、でも『パプリカ』だけはわりかし口ずさむようなところがあったらしくて。鈴木プロデューサーが『このパプリカを歌っている人に主題歌を頼むのはどうかな』という話をしたところを、宮崎さんが肯定してくれたという話らしいですね。

ガヤ:
(そこからなんだ…。)

ナレーター:
一方的に憧れていた宮崎駿監督の耳に『パプリカ』が届き、それがきっかけで映画の主題歌のオファーが。しかし、米津玄師はこう言う…

米津:
本当にもう、死刑台に上るみたいな気持ちだったんですよ、人生最大の出来事でしたね。

ナレーター:
こうして生まれた曲が、アカデミー賞長編アニメーション賞を受賞した『君たちはどう生きるか』の主題歌『地球儀』。

林修:
自分がもともと憧れていた宮崎駿監督からのオファーというのは、他とは違うプレッシャーがあったんじゃないですか?

米津:
本当に人生最大の出来事でしたね。

林修:
そこまで大きかったんですね。ずいぶんご苦労なさったと聞きましたが、四年かかってたんですか?

米津:
そうですね、最初に絵コンテを受け取って、それが本当に五冊くらいあって、ジャンプ2冊分みたいな感じでした。

米津:
これをもとに自由に感じたように作ってくださいって話だったので、本当にプレッシャーでしたね。それは。絵コンテを地図のように見立てて、砂漠の真ん中から帰ってきてくださいって言われてるような気持ちでしたね。

林修:
で、出来上がった曲を宮崎さんはどうおっしゃったんですか?

米津:
だから本当にもう、死刑台に登るみたいな気持ちだったんで、曲を聞かせる時に対面して、CDに焼いて持って行って、それをその場で流すっていう形だったので、何を言われるかとすごく恐ろしかったんですけど、すごくあっけなく『いいですね』という話になって、ほんと一言二言で『これでいきましょう』と。

林修:
でも、宮崎監督が泣いて喜んでくださったという話も聞きましたが?

米津:
私の目にはそう見えたんですけど、鈴木さんが『違う』って言ってるらしいので、ちょっと真相は定かではないですね。

ナレーター:
次々と大きな成功を収め、輝かしいアーティスト人生を送っている米津玄師。しかし、そんな彼が時折見せるのが…

米津:
自分は結構うちにこもるタイプというか、あんまり人ともしゃべらない。わりかし何考えているのかわからないような子供だったと思うんですけど…。

ナレーター:
影のある発言…それは、米津玄師の過去に深く関係している。

ナレーター:
続いては、いかにして米津玄師は誕生したのか、その原点に林修が迫る。

ガヤ:
すっごい気になるよねぇ、気になるよね。

林修:
幼少期はどんなお子さんだったんですか?

米津:
すごい引っ込み思案な子供でしたね。わりと家にこもって、あんまり人とも喋らない。結構、周りの人間が何を言ってるのかあんまりよくわかんないってところがあって、話しかけられても、それに対してどう返したらいいかわからないし、何が正解なのかわからないっていう感覚がすごくあったんです。なので、それを埋めるために絵を描いたり、音楽があったような気がしますね。

ナレーター:
幼少期は周りと馴染めず、生きづらさを感じていた。そんな彼の心の穴を埋めていたのは、音楽と漫画だったという。

林修:
音楽をやりたいと思ったのが中学生くらいの頃と伺いましたが、それまで漫画家になりたかったんですか?

米津:
そうですね。ずっと漫画家になりたくて。さっきも例えにジャンプが出ましたけど、やっぱりジャンプ派だったんですか?

米津:
ジャンプが大好きでしたね。特に『ナルト』が一番最初の作品で、単行本を何度も繰り返し読んでいました。

林修:
絵もとても上手で、漫画家になられても成功されていたんじゃないかなと思いますが。

米津:
いやいや。でも本当、漫画家って大変じゃないですか。音楽もどっちも大変ですけどね。

米津:
でも、それこそ『ナルト』の漫画の隙間のページに作者の岸本先生のエッセイが挟まるんですけど、そこに漫画家の生態、どういう風に生活しているかって話が書かれていて、子供の頃に読んだ時に、これは大変だなって思ったんですよ。本当に寝られないし、押入れの中に仮眠をとって、そのまま絵を描いてみたいな生活なんですよね。

林修:
睡眠時間が十時間必要ですもんね。

米津:
そうですね、それは到底自分には無理だなと。

ガヤ:
それは無理だよね。

米津:
実際に睡眠不足で早めに亡くなっている漫画家の方もいらっしゃいますけど、でも『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげる先生は九十三歳まで生きていらっしゃったんですよ。あの方はすごく寝てたらしいですね。

林修:
それはご存知でしたか?

米津:
やっぱり寝るのって大事なんだなと。

ガヤ:
睡眠大事だよ、大事ね。

ナレーター:
幼少期から書き続けた絵の才能も高く評価され、CDジャケットのイラストをすべて自ら手がけ、さらに全編自筆のイラストを用いて自ら編集したミュージックビデオも作成している。

ガヤ:
何もかも揃ってる。すごーい。

ナレーター:
漫画家を諦め、本格的に音楽を始めたのは中学生の頃。スピッツやBUMP OF CHICKENに憧れ、友人を誘ってバンドを組んだが、そこで米津玄師は大きな壁にぶつかることになる。

林修:
中学からバンドをされていて、いつまで続けられたんですか?

米津:
バンドは18歳くらいまでは緩やかにやってました。でも、だんだん自分には向いてないなって思ってきたんですよね。

林修:
音楽的な才能がそれだけおありなのに、どうして向いてないんですか?

米津:
やっぱり、人と一緒に何かをやるのが根本的にすごく苦手なんだと思います。特にバンドの人間関係とか難しいんですよね。結構、諦めちゃうことが多くて。自分がこうしたいっていうのが相手に伝わらなかったりとか、自分の言葉が足りなかったりする部分があるので、伝わらなかった時に『じゃあ、いいです』って結局自分でやる方向に向かっちゃう人間なんです。

米津:
なので、当時から打ち込みとかパソコンで音を出したりしてたんですよね。やろうと思えば全部一人でできちゃう人間なんですよ。

ガヤ:
米津さんなら、全部一人で完結できちゃうよね。

ナレーター:
バンドメンバーと馴染めなかった米津玄師。そんな彼にとって希望の光となったのが、歌詞とメロディーを入力すると、構成された音声が歌ってくれるボーカロイドの世界だった。これなら一人でも音楽作品を生み出すことができた。そして、米津玄師は動画投稿ができるサイト『ニコニコ動画』で『ハチ』という名義で活動を始める。

ナレーター:
楽曲から映像まで一人で作った作品をサイトに投稿し、次々とミリオン再生を連発、ついにはボカロ界のトップクリエイターにまで登り詰める。

林修:
そのボカロ時代を今振り返ると、どう思われていますか?

米津:
自分の半分故郷みたいなものだなと思いますね。

ナレーター:
バンドが向いていないと自覚しながらも、ニコニコ動画の中でボーカロイド楽曲の制作を通じて、自分の音楽のスタイルを確立していった。

林修:
そのボカロ時代を今振り返ると、今どう思われていますか?

米津:
自分の半分故郷みたいなものだなと思いますね。バンドが向いていないというふうにゆっくり自覚していくその最中に、ニコニコ動画の中でボーカロイドの楽曲を作るコミュニティが出来上がっていて、ここなら自分でも参入できるかもしれないって思ったんです。そこで出会えたのは本当に運が良かったし、少しでもタイミングがずれてたら、全然違う人生を送っていたんだろうなと思います。

ナレーター:
自分の顔も声も本名も出さず、裏方のように音楽を作り続けた米津玄師。しかし、2012年から本名の米津玄師名義で活動を開始、突如表舞台に立つことを決意する。その背景にはどんな心境の変化があったのか。

米津:
ボーカロイドの音楽を作るのもすごく楽しかったんですけど、そもそも自分で顔を出して、自分の名前で歌う人間に憧れて音楽を作り始めたっていうところがあったんです。バンドのボーカリストとか、そういう人たちに対する憧れがあって、それを無視したまま音楽を作り続けることはできないなっていう気持ちがどんどん募っていったんです。

米津:
今では本当にボカロPになりたくてボカロをやるという若い子たちがたくさんいますけど、当時は少し違いました。悪い言い方かもしれないですけど、自分みたいに他のところに疲れてやってきた人たちが多かったという感じです。ボーカロイドには、そういう受け皿としての懐の広さがあったんです。でも、この故郷(ボカロ)の中だけでずっと生きていくのも、あまり心地いいことじゃないなと感じました。

ナレーター:
バンドの人間関係に悩み、逃げるように飛び込んだボカロの世界。すべて自分のやりたいようにやれる自己完結した世界にとどまるか、それとも憧れ続けた夢に再びチャレンジするか。米津玄師は表舞台に出ることを決断する。その結果、YouTubeで再生数2億6千万回超え、一人で閉じこもっていた米津が自ら菅田将暉にコラボを依頼した『灰色と青』。

ガヤ:
そうなんだぁ。自分から(米津発信なのかというニュアンス)

ナレーター:
自らラグビーワールドカップの会場でも鳴り響き、感動のシーンを彩った『馬と鹿』。そして『KICK BACK』は、日本語の楽曲としては史上初、アメリカレコード協会からRIAAゴールド認定を受けるなど、次々と名曲を生み出していくトップアーティストとして揺るぎない地位を確立した。

林修:
最近、意外なことを始められたと伺いましたが、ボイトレにも通われたんですか?

米津:
二、三年前くらいですね。それまでボイトレに通ったことがなかったんですが、三十を超えたあたりから、誰かに何かを習うってことをあまりしてこなかったなと思って、今一度そこに向き合ってみたいという気持ちが湧いてきたんです。それで、ボイトレの先生にも『裏とか何も知らない子供に教えるように、1から教えてください』ってお願いして始めました。

林修:
先生もやりづらかったでしょうね。

米津:
そうなんでしょうねちょっとわかんないですね

ナレーター:
学びの姿勢がベースにある米津玄師の音楽活動。その歌詞づくりには、宮沢賢治、石川啄木、種田山頭火など文豪たちの影響も色濃く受けている。続いては、そんな米津玄師の歌詞の世界に、現代文講師・林修が迫る。

林修:
米津さんは宮沢賢治などの文豪を大変敬愛されていて、そういった方々の影響が作品にも表れていると伺いました。

米津:
そうですね、宮沢賢治はずっと好きで、『春と修羅』という詩集がありますが、十代後半、神経質だった頃にお守りのようにずっと鞄に忍ばせていたくらい影響を受けました。

林修:
今回の新アルバムの『毎日』という曲には、石川啄木の『ぢっと手を見る』という言葉が使われていますね。

米津:
そうですね。『ぢっと手を見る』というフレーズが出た時点で啄木だとわかると思いますが、このフレーズは石川啄木の名歌『働けど働けど、猶我が暮らし楽にならざり、ぢっと手を見る』から引用しています。

林修:
これはどういう意図で使われたんでしょうか?

米津:
『毎日』という曲を作っている時、制作が切羽詰まっていて、やらなきゃいけないことが立て込んでいる中で、そのフレーズが浮かんできたんです。書いては捨ててを繰り返す中で、これ何やってんだろうなと自暴自棄になりそうな時に、『働けど働けど』という言葉がどうしても浮かんできて、それをそのまま引用して歌詞にしたら面白いんじゃないかと思いました。

林修:
なるほど。啄木は、実際に色々と問題を起こした方ですが、その中ですごく好きな作品が一個ありまして、
『一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねと祈りてしこと』という作品がすごく好きなんです。

米津:
わかります。それありますね。まずいですよね。すごい赤裸々ですよね。

林修:
そうなんです。これを言うと大体みんな引くんですが、認めてくれる人は初めてですね。本当にあれ、最高ですよね。

米津:
最高ですよね。

ガヤ:
(なんか米津さんがすごい生き生きとしてきた。)

林修:
やっとわかってくれる人に出会えた。

米津:
人間の業みたいなのってすごく好きというか、自分の身に覚えがあったりするんで

林修:
思いきって言ってみるもんですね。あといろいろ伺っていきたいんですけれども、詩の中に影が立つがあって、後半にも影法師の影が出てきますよね。『馬と鹿』でも影をという表現がありましたが

ナレーター:
確かに米津の歌詞には影という言葉が何度も登場する。

林修:
この影が死に繋がるものなのかなという仮説を立てたのですが。

米津:
そうですね、自分の性質として、どうしても影に目が行ってしまう部分があるんです。自分の曲を聞き返すと、その影とか暗い部分が頻繁に出てきて、少し恥ずかしい部分もあるんですが、それが自分の考えの基軸になっているのかもしれません。

林修:
影が色濃くなるほど光が輝きを増すように、いつかの死を意識するからこそ、今の生を鮮やかに感じるということですね。

米津:
そうですね。死ってすごくネガティブなイメージがあると思いますが、決してそれだけではないと思います。死は人間が生きるうえでの営みの一つで、それは完膚なきまでに隠し通さなきゃいけないものでもない。むしろ、そういうニュアンスや匂いがあるからこそ、今生きているという感覚が強くなり、それを考えることができると思うんです。少なくとも自分が音楽を作るうえでは、それを大事にしている部分です。

ナレーター:
影が色濃くなるほど光が輝きを増すように、いつかの死を意識するからこそ、今の生を鮮やかに感じる。米津玄師の歌詞は、そんな彼の人生哲学に貫かれている。
そして最新作の歌詞にも独特の言葉遣いが。こちらは満島ひかり主演で現在公開中の映画ラストマイルの主題歌がらくたこの曲の歌詞には、米津が子供の頃に聞き、なぜか心に残っているという意外な言葉が使われている。

米津:
子供の頃から好きな言葉があって、廃品回収業者ってあるじゃないですか、こちら廃品回収センターです。拡声器で車で走りながら、テレビ、パソコン、家電製品、何でも承っております。あれの一説に壊れていても構いませんって…。
あれが子供の頃に耳に残っていて、すごくニュアンスがある言葉だなと。

林修:
そこですか、

米津:
すごいこう含みのあるというか、なんかすごいニュアンスがある言葉だなぁと思ってすごい寂しい響きもあるし、同時にすごい 懐が広いな 壊れていても構わない それも包み込むような懐の広さがあったり、なんか別に壊れていたっていいじゃないかっていう人間誰しもどっか壊れている部分あるし、そういうものを一つ一人一人抱えながら生きているわけだし、完膚なきまでにノーミスで生きてきた人間なんて一人もいないと思うしそういうものを少なくとも自分はわりかし肯定したいなっていうふうに思ったんで、そういう気持ちで作った曲かもしれないですね。

ナレーター:
生きづらさを感じていた幼少期から、日本の音楽シーンのトップを走るアーティストに上り詰めた米津玄師。彼が仕事をするうえで大切にしている考え方とは。

林修:
最後に、米津さんが仕事をするうえで大切にしていることを教えていただけないでしょうか。

米津:
閉じ切らないことはすごく大事にしています。ずっと自分の興味の範囲の中だけで生きてきた人間なんですが、どうしても一人よがりになってしまう部分があって、それが子供の頃は特に強かったです。でも、自分の好きな音楽を考えると、広く届く音楽…ポップスという言い方ができるかもしれませんが、自分のためだけに歌ってくれているような音楽一番好きだったんですよ。そういう音楽を自分でも作りたいっていう風に考えると、やっぱ閉じこもっていてはいけないなと思うんです。対面にいる人たちに『私はこういう人間だけど、あなたはどう?』というやり取りを繰り返していかないと、広く届く音楽は作れないと思います。

ナレーター:
外に出ることは時に痛みや苦しさを伴うかもしれない。しかし、それでも世界と繋がり、人々と響き合える存在でありたい。そこには表現者米津玄師の確かな覚悟があった。そして収録後にはこの言葉どおり…

米津:
大丈夫でした? こういう感じですか?

林修:
いや、もう、それ以上に。

米津:
本当に初めて過ぎて…。

ナレーター:
苦手なトークにも閉じることなく向き合う米津玄師の姿を見ることができた。そして次週、まだまだ喋ってくれていた。

米津玄師 林修インタビュー後半戦 2024/9/1

ナレーター:
今夜のインタビュアー林修は…
先週の放送でxの世界トレンド入りをし、テレビ界に大きな衝撃を与えた。米津玄師、奇跡のトーク番組 初出演。今夜は後半戦。
がっちりと噛み合ったテレビ初出しトークを連発。そして今夜は、それまで表舞台に出なかった米津玄師が2018年紅白に出演した理由を明かす。

米津:
テレビに出るっていうことに、出たくないと思ってたわけじゃないんですよ。

林修:
そうなんですか。

満島:
どこかこの世界はおとぎ話だったり、ファンタジーで茶番なところもあるから、どうドライブするかっていうのは自分もよくする話なんですけど。

ナレーター:
米津玄師が初のトーク番組で今夜も語り尽くします。スペシャル。

林修:本当に印象がミステリアスで、どういう暮らしをされているのかもよくわからないんですけど、普通に居酒屋とかも行かれるんですか?

米津:
いや、全然。ほんと、そこら辺の汚い場所にあれだけど、でもゆっくりわりかし長い時間のダラダラ飲むのが好きなんですよ。

林修:
そうなんですか

米津:
もうダラダラとあるから、ずっとハイボール飲みながら、朝方まで飲むっていうのがすごい好きで。
(常田)大希とかだったり、音楽の話とか、あんまり生産性のない話をしたりするのがすごい好きで。

林修:
そうなんですか、ハイボールっていうイメージでもないんです。なんかブランデーとかかなって思ってましたが。

米津:
全然そんな野良の人間なんで、いや、でも今から、普通に朝起きて電車に乗って、ちゃんと勤めるって言い方もどうかと思いますけど、ねぇ…。やっぱそれを毎日欠かさず過ごしている人たちに対する…尊敬というか、やっぱりそれはものすごいことだなって思いますね、すごく。

林修:
いや、それはもう僭越ながら同感ですね。僕、そういうのがちゃんとできないんで、会社辞めた方ですからね。五か月で。

米津:
本当ですか。自分にはできない事なんで。そういう人たちがいないと自分みたいなチャランポランな人間でも生きていけないっていうのが。

林修:
チャランポランでもないんじゃないかな。そういう思いも持ちながら…ですよね。

米津:
そうですね。全然家で一人でいられるタイプなんで、なんか結構楽しいんですよね、それが。

林修:
確かに、一人が一番楽しいですよね。じゃあ、家にこもって作品作りに打ち込むことは全然苦にはならない。

米津:
全然楽しいですね。なんなら、ありがてぇなと思うので、ずっと家にいていいんだっていう、そう悲観は。ずっと一人で曲作ってるのが一番楽しいなって思います。

ナレーター:
楽曲作りが好きで、家にこもるタイプの彼は、2012年、米津玄師として活動を開始し、次々とヒット曲を生み出していったが、テレビに出ることはほとんどなかった。そんな米津が、ついに初めてテレビ歌唱を決断。それが…2018年の…NHK紅白歌合戦。米津の地元・徳島で名曲「Lemon」をテレビ初歌唱。このテレビ出演を決意したのは、米津玄師の大切な人へのある思いがあってのことだった。

林修:
今「Lemon」で紅白に初出場されて、しかもテレビ初歌唱だったんですけれども、これはどういう経緯でそこで初めてテレビを歌おうと思われたんですか?

米津:
まず、やっぱり自分でも想像しないような大きな曲、広い曲になったんで、どうしたもんかなっていう感じがあったんですよね。それで紅白に出るか出ないかっていう話になったんですけど、その時にテレビに出るっていうことに、なんでしょう、出たくないと思ってたわけじゃないんですよ。

林修:
そうなんですか?

米津:
あんまり向いてないなっていう気持ちが強くて、なるほど、わりかし消極的だったんだけれども、自分の身の回りで巻き起こっている体験って、なんかもうこれ以上ないんじゃないかっていう、人生で一回の経験なんじゃないかって思ったりした時に、子供の頃から見てるような番組だったんで。まああとはまあ、じいちゃんにね、なんか作らせてもらったみたいなところがあるんで、なんかまあ親孝行じゃないですけどね、そういう感覚があったりとかは覚えてますけどね。

ナレーター:
実は「Lemon」の制作の最中、米津が子供の頃から大好きだった祖父が他界している。そんな祖父への思いを歌詞に載せて完成させた「Lemon」。紅白初出場は、亡き祖父への感謝の気持ちが込められていた。

林修:
僕の音楽が、ダメな人間なんですけれども「Lemon」を聞いた時に、レジのスーパーのところで聞いてて、これすごいと思って、歌詞を自分ですぐ音声メモに入れて、で、家帰って検索して、いや、これは大ヒットするなと思って。知り合いにはこれ絶対来るよって言ったら、もうなんか再生回数で2億回ぐらい回ってるから、二回りぐらい世間からずれてたみたいで。
その人に言われたのは、スーパーで流れてる地点で相当世の中では広まってんだって言われて

米津:
確かにそうかもしれない。

ナレーター:
そう、林修は昔から「Lemon」が大好き。今回のスタジオ収録の直後にも…(林修の自信満々ご機嫌アカペラ歌唱シーン)

ガヤ:
でも自信あるんだな、歌い慣れてさ、確かに練習してるぞ。
カラオケで歌ってますね。

ナレーター:
あの「Lemon」をご機嫌で歌っている。
そんな思い入れの強い曲「Lemon」の歌詞を現代文講師の林修が徹底分析。

林修:
この番組ですでに、その僭越ながら「Lemon」の歌詞を勝手に考察しちゃったんですよ、僕が。なんで、違ってるんなら遠慮なくおっしゃっていただければと思うんですけれども。

林修:
注目したのは、サビの最後に出てくる「今でもあなたはわたしの光」が三回繰り返されてて、その間に「私のことなどどうか忘れてください」と願うほど、今でもあなたはわたしの光と、これ完全に逆説パラドックスになっていると。この逆説を挟んで、結局「今でもあなたはわたしの光」というのが三回来る。

林修:
だからおそらく、僕も現代文を教えている人間なんで、この詩のメインメッセージは、ラストに「今でもあなたはわたしの光」、これを伝えることが一番大切で、だからあのフレーズがあって、後から残りを埋めたんじゃないかなって。この三回がまず決まってて作られたものではないかっていうようなことを、もうすでにテレビで言っちゃったんですよ。

林修:
この曲の中で唯一三回繰り返されるのは、「今でもあなたはわたしの光」。これが三回繰り返されます。これがメイン・メッセージです。もっと言うならば、「今でもあなたはわたしの光」が三か所あって、残りは後から埋めたんじゃないかっていうくらいに思ってます。

林修:
こうなると思ってあんなこと言わなかったんですよ。遠慮なく裁断を下していただきたいんですけど

米津:
なんか逆な気がするんですよね、多分。
なんならその…ここら辺の最後の歌詞だけ、最後の最後まで浮かんでなくて、逆にそこをどうしようか、レコーディングしながら、歌入れしながら、どうしようかなって悩んでた記憶があって、それこそ「胸に残り離れない苦いLemonの匂い」から後がどこに着地していいのかわかんないっていう。

林修:
なるほど

米津:
そういう時間があったのは覚えていて。

林修:
いや、ちょっともう今後この考察はやめた方がいいかもしれないですね。

米津:でも本当に、そこにたどり着くために書いてたんだなっていうのは、浮かんだ時にやっぱ実感したし、これは何かわりかしベクトルが違うだけで、言っていることは結構同じようなことをおっしゃられているのかなとは思うんですけど、最終的にその…だるまに目を入れるみたいな、ここにたどり着くためにこの曲を書いたんだなっていう、そういう感じがあったんで。

林修:
いや、救っていただいたんだけど。

ナレーター:
「今でもあなたは私の光」。この言葉へのたどり着き方こそ違ったが…。最愛の人との別れを惜しむ「Lemon」のメインメッセージは、確かにこの言葉にあった。

林修:
全体を通じて、二度と会うことのできない人への強い思いというのが表現されていることというのは、やっぱりさっきのおじいさんのことも含めて、僕はそう受け取ってるんですけど。

米津:
わがままな曲ですよね。

林修:
そうですか?

米津:
すごくわがままな、忘れてくださいって言ってるのに、とても忘れられないっていう、すごい1曲の中で矛盾してはいるんですけど、でも音楽ってそういうところがあっていいなっていうのが、やっぱり割り切れないものがあったとて、それで構わないっていうのが。
そういう割り切れないものを抱えて人と接したりすると、どこかで何か齟齬が起きたりとか、社会的な営みだと許されない部分とかがあったりしますけど、少なくとも音楽とかそういう分野においては、それを肯定してくれるっていう、それでいいんだよっていう風になっているので、こういうわがままな、自分勝手な気持ちも美しく響いてくれるのが、本当にありがたいことだなっていう気がしますね。

林修:
確かに、おっしゃる通りわがままといえばわがままですけど、でも「忘れてくれ」って言いながらも「でも一番でいたい」と思うのも人間じゃないですか。

米津:
そうですね。

ナレーター:
そして今回、米津玄師の曲に魅了されたというこちらの方に話を聞いてきた…それが…

満島:
こんばんは、満島ひかりです。林先生元気ですか? えへへ。じゃ、座ります。

ナレーター:
女優満島ひかり。現在公開中、満島ひかり主演映画「ラストマイル」の主題歌「がらくた」を米津玄師が担当し、つい先日も米津玄師と話をしたというが、満島ひかりが見た彼の素顔は…

満島:
なかなか珍しくないですか、背の高いアーティストさんって。見えそうで見えないですよね。結局、ミステリアスですよね。最近はつなぎが好きだって言ってました。けど、実際は結構穏やかなクジラみたいな感じでした。背も大きいし、なんか大きく海を泳いでるような、なかなか珍しくないですか?背の高いアーティストさんって、例えば布袋さんとか、前川清さんとか…。だからこんなに背が高くて、足が地べたについてる感じだから、あの声が出るんだなっていうのは、なんか納得しました。

ナレーター:
さらに満島ひかりは、米津の人生観に触れ、共鳴する部分も多かったようで…

満島:
結構似たところが多くて、びっくりした印象があります。人生はファンタジーみたいな考え方がすごい近かったなって。大きくは、どこかこの世界はおとぎ話だったり、ファンタジーで茶番なところもあるから、どうドライブするかっていうような話は、自分もよくする話なんですけど、米津さんもされてて。動いてても座ってても事件が起きるし、悲しいことやってくるし、大変なことも起こるから、そういう世界をどう生きるかっていうのは、なんかこう、人生観みたいな、ちょっと近いところがありそうな感じがしました。

林修:
(櫻坂48)井上さんは米津さんの大ファンなんですね。

井上:
そうなんです。米津さんの曲って、歌詞がすごく綺麗で、小説を読んでいる気持ちにもなれるような歌詞が多くて、すごく心に響くものが多いですね。

ナレーター:
米津玄師の歌詞の美しさ、そこには幼少期から愛読してきた宮沢賢治、石川啄木、種田山頭火など、文学者たちの影響を色濃く受けているのだが…実は朝の連続テレビ小説「虎に翼」の主題歌「さよーならまたいつか」の中に、現代文講師の林修も唸った米津玄師のある手法があった。

林修:
現在放送中の朝の連続テレビ小説「虎に翼」の主題歌も担当されていますけれども、そもそも朝ドラのテーマというオファーに対してはどういうコンセプトで作成を始められたのですか?

米津:
朝ドラが正直あんまり馴染みはなくて、朝ドラの音楽ってどういうものなんだろうなってところから始まったんですけど、

ナレーター:
実は主題歌のオファーを受けた当初、思い悩んだこともあったという。そもそも朝ドラ「虎に翼」は、昭和初期、日本初の女性裁判官となった三渕嘉子さんをモデルとした物語。法律家として女性や子供の助けとなる活動をした一人の女性の孤独な戦いが描かれています。

米津:
やっぱり、朝には相応しい爽やかさが求められてるんだろうなぁと思いつつも、そもそも「虎に翼」の物語自体がわりかしフェミニズムが土台にある物語だったので、そこに対してどう向き合っていけばいいのか、そこに対して男性としてどう向き合っていけばいいか避けて通れない視点だったので。その分結構緊張感みたいなものがありましたけどね。女性の地位向上っていうものを邪魔したくないというか、自分の音楽によってそれが、一滴なんか墨汁たらすみたいな形になっちゃうのも、それはそれで目覚めの悪い話だなと思うので、ちゃんと理解した上で音楽を作るべきだなっていうのはすごく思っていたのは覚えていますね。

林修:
なるほど。さらに、この朝ドラ「虎に翼」の主題歌「さようならまたいつか」には、「しぐるるや しぐるる町へ 歩み入る」という歌詞がありして、これは種田山頭火からの引用ですけれども。

ナレーター:
虎に翼の大きなテーマである孤独な戦いを曲の中で表現する上で米津玄師が引用したのは、俳人種田山頭火の名句「しぐるるや しぐるる山へ 歩み入る」。これを曲中では…山を町に変えている。

林修:
この句を「しぐれる山」を「しぐれる町」に変えて使われた理由は?

米津:
それも、もともと好きなフレーズだったんですけど、「しぐるる」っていう音がすごい好きだったんですよね。あんまり日常的に聞かない言葉で

林修:
意味的には冬で雨が降ったり止んだりする意味ですよね。

米津:
歌う人間なので音としての面白さとか多分、耳に残りやすいんだと思うんですけど、ずっと覚えていて、この曲にすごく合うんじゃないかなっていうのがあったので、ここに使わせてもらったっていう形かもしれないですね。

林修:
もともとの種田山頭火の俳句は「山」ですが、この歌詞では「町」に変えた…そこかしこで袖触れるはずの…山に何もないは当然だけど町にいて同じことが起こるという、巧みに原作品を吸収していると思ったんですけれども。

米津:
ありがとうございます。

林修:
やっぱり、「虎に翼」の物語が、あまり周囲から理解を得られない立場の人間の話なので、いろんな人間がいたとしても、それを共有できないのであれば、それは孤独と変わらないというところがあるなと思うので。

林修:
なるほど。それを種田山頭火の山の中で一人でいる時の状況ときれいに重ね合わせて…

米津:
そうですね。

林修:
この作品を見た時に、僕が真っ先に浮かんだ言葉は…
「双交通」が成功したと思ったんですよ。
これ、ちょっと説明がいるんで、お付き合いいただけます?

ナレーター:
この歌詞に魅了された林修は、米津玄師にどうしても見せたいとあるものを持ち込んでいた。

林修:
これ、2003年の東大の問題なんですけれども、篠原資明さんという京都大学の名誉教授の方が書かれた文章でして、要するに過去の作品を引用して詩を作るということについてのお話なんですよ。
過去の作品を引用しようと思うと、まず過去に一回行かなきゃいけないですよね。それが単交通なんです。それを実際に今の詩人が自分の作品の中で完全に素晴らしい作品として生かす、昇華すると。それを「行って帰ってくる」んで、「双交通」なんですよ。

米津:
そういうふうに言うんですね。

林修:
その篠原さんって方の独特の言い方なんですけど、これを見た瞬間あっ、双交通だと。

米津:
そういうことになるんですね。 そうですね、本歌取りっていう意識はあるはありました。

林修:
いや、普通はそういう言い方をするんですけど、この方は「双交通」っておっしゃってて。

米津:
ちょっと面白いですね。

林修:
でもこれは本当に巧みに、山頭火の作品が、そういう都会の孤独感に形を変えてきれいに…見事にはまって、ここに目をつける人はいないですからね。

米津:
いやぁ、ありがとうございます。

ナレーター:
このように、小説の一節から着想を得た作品が、米津玄師の最新アルバム「ロストコーナー」。このタイトル、実は…

米津:
「ロストコーナー」っていうタイトルになっていて、これもカズオ・イシグロの小説『わたしを離さないで』があって…それがすごく好きで、その中の一幕に、イギリスの一角にノーフォークという土地があるけれども、そこは本当に特に何もない場所だという、なので人々は「ロストコーナー」と呼ぶ「失われた土地」という意味合いもあれば、忘れ物を置けば「異質物取扱所」みたいな意味合いもあるという。そういうことを授業で教えられて、子どもたちが最初は茶化しながら受け取っていたんだけれども、だんだん時が経つにつれて、それが本当に桃源郷のように何か救いを祈ってしまうような場所に変わっていく。今のこの生活の中で何かなくすことがあったとしても、ノーフォークに行けば、ロストコーナーに行けば、そこで全て見つかるはずだというふうに祈り出すんですね。それがすごく感じるものがあったりして…。

ナレーター:
そんな米津玄師の最新アルバムに収録されているのが、現在公開中の映画「ラストマイル」の主題歌「がらくた」。この映画「ラストマイル」は、石原さとみ主演の大ヒットドラマ「アンナチュラル」と綾乃剛・星野源がダブル主演をしたドラマ「MIU404」の両シリーズの世界とつながるサスペンス映画。

ナレーター:
三部作すべて、監督は塚原あゆこ、脚本は野木亜紀子が務め、その主題歌を米津玄師が担当してきたのだが…実は、主題歌を書き下ろした際、米津玄師にある事件が起きたという。

米津:
この曲も二曲目なんですよね。一曲目はボツになって。

林修:
米津さんにこれダメっていう人がたんですか。
監督を務められた塚原さんとタッグを組んで三作目ということでも、いかがでしょう?慣れている感じだったんですか?

米津:
毎回毎回新しい物語なんで、その都度新しい気持ち新たにって感じではありますけど、それがまあ三部作という形で映画になるっていうのは、個人的にもすごい感慨深いものがあって

林修:
作品自体、同じ世界線で描かれたものだと伺ったんですけれども、曲の方もやはり何かつながる部分はあるんですか?

米津:
そうしようかなと思ったんですけど、この曲も二曲目なんですよね。一曲目はボツになって…

林修:
えっ、これダメっていう人がいたんですか?

米津:
いや、でもまあ、それは確かにそうだなって自分でも思ったんで、あれなんですけど、前2作と絡めてみたいなことをやってたんですけど、でもなんかそれもちょこざいだなって感じがしたんで、この「がらくた」って曲は特にそんな感じにはならなかったです。

林修:
ちなみに、それ誰がボツを出されたんですか?

米津:
誰なんでしょう、自分もよくわかんないですけど…
この映画ではないっていう言い方ではありまして…

林修:
そうか、大人の断り方ってあるんだ。

ナレーター:
一度作り直して完成した主題歌「がらくた」。そのタイトルを聞いた主演の満島ひかりは…

満島:
「がらくた」かぁと思った、最初はね。最初は試写会で初めて楽曲も含めて映画を見たんですけど、どんな曲が来るのか全然想像してなかったんです。最後にエンドロールで「がらくた」って流れて…岡田将暉さんと私たちのテーマはガラクタでした。
しかし、実際に曲を聴いてみると、痛かった。聞いてて、自分の中で孤独で痛みを持っている部分にカッてくるようなところがあったかな。「大丈夫、独りぼっちでも立ち止まっても本当に大丈夫」みたいな声の歌だったので、最後、音楽に映画自体をラッピングしてもらった感じがして、全然見え方がまた変わるというか…
不思議なのは、映画で描かれていなくて説明できなかった感情が音楽によってプラスされていて 見え方がもっとリッチになっていく感じがして、すごいなと思いました。

ナレーター:
米津玄師の楽曲は、音楽の枠を越えて映像作品にも新たな彩りを加える力がある。だからこそ、多くの映画やドラマの主題歌に選ばれる唯一無二の存在なのだ。十八歳からボカロで楽曲を作り始め、今や音楽シーンの先頭に立つ米津玄師。その活躍は国内だけにとどまらず、2023年には日本語の曲としては史上初、アメリカレコード協会からRIAAゴールド認定を受けるなど、世界でも高い評価を受けている。
そして先日、自身初の世界ツアーを発表した。しかし、この世界進出について米津玄師はある葛藤を抱えている。

林修:
最近、日本のアーティストは世界へという意識をお持ちの方が非常に多いんですけれども、米津さんは世界に向けて発信したいという気持ちはお持ちなんですか?

米津:
皆まで物を飛ばすというか、閉じこもろうとも思わないですけど、聞いてくれる人が増えればそれは絶対嬉しいし、それが国の外であればそれも嬉しいとは思いますけど
でもやっぱり、自分は自分でやれることがあるなと思いますし、まあなんだかんだで日本語が好きだし、日本語の表現っていうのは馴染み深いものでもあるし、日本語だったら海の向こうの人たちに届かないのかって言われたらそうでもないのかもしれないですけど、無理をしてまでっていう感じでもないですね。聞いてくれる人がいればそれは嬉しいなっていう、そういう感じですね。

林修:
あの「しぐるるや」がいいよねっていうのは、日本人にとってと外国の方にどう伝わるか、ちょっとわかりにくいとこありますよね。

米津:
でも、やっぱりそういうところから出発している所があるので、好きで読んだ小説の文体とか、いかに変換できるのかとか、そういうのはこれからどんどん見つめていこうかなとは思っていますけど。

ナレーター:
世界中の人に曲を聴いてほしいという思いの反面、米津玄師自身若い頃から愛読し、作品作りの根底にある文学者たちの美しい日本語を大切にしたい。古き良き日本文化への敬意を込めながら、米津玄師はこれからも名曲を生み出していく。

林修:
自分の内に向き合って、たっぷりため込んだ財産がまだまだ無限にあるなと。おそらく我々はまだ米津玄師の一部しか知らないんじゃないかなと。だからこれから先もそれがとめどもなく溢れてきて、ずっと我々の視覚と聴覚を支配する空間が生まれ続けるなって率直に思いましたね。
まだまだ一部ですよ。

-終-


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